勝瀬観光 相模湖 スワン丸
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勝瀬観光株式会社 相模湖スワン丸
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相模湖の概要
社会科見学のご案内
相模湖の見所(図)
相模湖の見所(文)
相模湖の概要

勝瀬部落
歴史

相模ダムは昭和13年1月20日の臨時県議会において議決された相模川河水統制事業により、横浜市、川崎市の飲料水の確保、横浜、川崎両市の工業用水及び相模原市の開田開発、洪水調節、電力の開発を目的として建設されました。昭和15年11月からの建設工事開始から用地買収、戦時下における資材・労力の不足等により建設に困難を極め、昭和22年6月14日には竣工式を迎えることができました。

相模湖は我が国最初の発電、水道、灌漑の多目的ダムとして神奈川県が築造したものであります。
相模ダム
相模ダム

勝瀬村記念碑

相模湖大橋

形式 重力式コンクリートダム
高さ 58.4メートル
頂部長さ 196メートル
越流頂 EL 158.0メートル
起工 昭和15年11月−竣工昭和22年7月
最大出力 31,000 KW


水力発電は、高いところにある水の位置エネルギーを水車で機械エネルギーに変換して、発電機を利用して電力を起こします。発電量は流量(水の量)と落差(水の落ちる高さ)によって決まります。自然の恵みを高度に利用しながら、短時間で発電を開始できる水力発電は、電力の安定供給、クリーンエネルギーとして重要性が改めて認識されております。
相模湖
標高 167メートル
水深 47メートル(最高)
集水面積 1.016キロ平方メートル
湛水面積 3.26キロ平方メートル
常時満水位 EL 167メートル
最低水位 EL 145メートル

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社会科見学、学習のご案内
相模湖 社会科見学
当社では、学校教育現場の課外及び校外教育の一環として児童、生徒のための社会科見学、学習のお手伝いを積極的に進めております。湖上一周の遊覧船上に於いて、相模湖誕生の歴史や、相模川水系についての地理的、地形的学習、人と自然との係り、水と緑との密接な関係についての勉強を豊富な資料や経験を提供してお手伝いしております。尚、当社はダム建設により犠牲となった勝瀬地区居住者の有志が設立した事業体でございます。先人より言い伝えられた生の歴史が当社には、豊富な資料とともにございますので、どうぞ機会ありましたらご利用のほどお願いいたします。

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相模湖の見所(図)
浄化装置 相模湖 御供岩
相模湖 相模ダム
相模湖
勝瀬橋
相模湖大橋
勝瀬村記念碑
丸山

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相模湖の見所(文)

相模ダム 上記参照


相模湖大橋 国道412号にかかる老朽化した旧筑井大橋に替わり昭和45年(1970年)完成した下路式鋼ローゼ橋(全長135.8メートル 全幅12.94メートル)であります。この橋と昨年完成した嵐山洞門の一体化した景色は相模湖の新しい名所となっております。特に嵐山洞門の夜景、洞門から見る日没の太陽のすばらしさは見事な風景です。


嵐山(相模嵐山) 相模湖一帯は、その昔弘法大師様が全国行脚の折、立ち寄られた折に京都の山容によく似ていると申され、あちこちに京都の地名、山、川の名をなぞられ残しております。この嵐山は勿論、京都の嵐山から名前をいただいたものであります。高さは海抜405.9メートルあり神奈川景勝50選に選ばれている山であります。早春の若葉の頃、夏の深緑、秋の紅葉、そして冬時々訪れる雪景色と人々の目をたのしませております。


丸山 この島は本来陸続きの山でありましたが、ダム工事のため取り付け道路を開削したため、島となり現在に至っております。島の中には東京五輪のカヌー競技の会場として、決勝審判塔として利用され、現在は各種ボート競技の審判塔として使用されており、早春の頃、色とりどりの花が咲き競い、別名花の島とも呼ばれております。


旧勝瀬村記念碑 日連村勝瀬の先祖は今から約503年前足利時代末期文亀元年後柏原天皇の時代に、湘南地方から移住してきた一団で、当時は戦国時代で近親者及び友人の菩提を弔うため、一面山を背負い三面川に囲まれた人跡稀な地を選び、村の中心に草庵を作り一帯を開墾しこの地に住み着いた者です。以来次第に発展し徳川時代中頃からは京浜地方より甲信地方への物資の輸送は小仏の険路を避け、神奈川回し(相模川を利用)となりこの地が一躍物流、交易の中心地となり、村内には荷継ぎ問屋、造り酒屋、醤油醸造所、米穀荒物の扱い商社あり、これらを総称して勝瀬仕入れと呼ばれ、遠く甲州、信州方面と盛んに商取引の行われた地域でございました。明治以降国道の改修と鉄道の敷設により、物流拠点としての位置が薄れその地位は低下してしまいました。そこで村民は一致団結して水田及び畑の耕地整理、山林開発に励み、養蚕、林業、畜産、漁業、絹織物生産等意欲的に取り組み、近隣における模範的組合経営として県知事より表彰を受けたこともありました。ここに共同社会を完成し貧困者のいない理想郷を出現させたのでありますが、昭和13年1月神奈川県議会に於いて相模川河水統制事業が可決せられ、戦時中の富国強兵、戦力増強一色の時代、現代社会のように権利の主張もままならず、又、強く反対することも出来ず、村民皆が泣く泣く承諾したのでありました県民に大きな恵みをもたらす貴重な財産を大切に守り後世に引き継ぐとともに先祖伝来の土地や家屋敷、数々の思い出を胸に、悲しみの中に移住を余儀なくされた日連村勝瀬地区の居住者の思いを、永久に忘れぬために記念碑を建立し、その功績を感謝するものである。


勝瀬橋 現在の橋は昭和34年に架け替えられた2代目で初代は昭和19年に日本で最初の斜張橋として建設され、水没した勝瀬地区を永久に記念するために命名した橋です。尚、現在3代目の勝瀬橋を建設中で橋脚の1部が現在姿を現して居ります。完成しますと全長320メートル(橋長270メートル) 全福12.5メートルの斜張橋となります。


エアレーション装置 相模湖では、富栄養化によるプランクトンの異常発生増殖により水質の悪化が問題になっております。その対策事業としてエアレーション(空気揚水筒)の設置を行い、陸上のコンプレッサーによって圧送された空気は、逆サイフォン作用により一連の動作を間欠的に行い表層の水と下層の水を混合し、プランクトンの発生を防止しております。


御供岩(ごくいわ) その昔、与瀬に住むヤヨさんキヨさんという2人の兄弟が、ある日相模川に漁に出かけましたが、生憎その日は魚が獲れず、途方に暮れていましたが、今一度とばかり網を入れると、なにやら網に手ごたえがあり、引き上げてみると金色に輝くご神体を発見、恐れ多くとりあえず近くにある御供岩に備え、その後家に持ち帰り近くの杜に祀りました。しかし後日付近一帯に疫病がはやり、困り果てて村の古老に相談したところ、祀り場所が悪いので直ちに安穏なる地にご神体を祀りなさいとの仰せに従い、村の高台に移し変えたところすぐさま疫病は治まったという伝説が残されております。

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